路上写真の喪失と監視写真の隆盛

もう一方の問題は、路上写真の喪失と、監視写真の隆盛だ。

路上写真は、日本の写真界の原点でもある。ただし、今、木村伊兵衛のような撮影の仕方はできない。おじさんがそんなことしようものなら、完全に盗撮で捕まるだろうし、肖像権の侵害で訴えられるだろう。
つまり、すでに風景にパブリックスペースはないのだ。
我々が見ている風景は常に誰かのもので、写真を撮って勝手に収奪することは許されない時代に来ているのだ。

同時に、我々の日常は常に監視カメラ、見えない主体、見えないカメラによって撮り続けられている。普段は気付かないが、何かの瞬間にその光景が頭を持ち上げる。潜像する日常なのだ。

写真が超親密な風景と、超疎遠な風景に分離していくのは、実は表裏一体のことだと言えるだろう。(三)