データを編む

辞書編纂の様子を「舟を編む」と名付けるのは素敵だと思うが、僕は、画像の自然言語検索を開発するために、シソーラス(類語)辞書データベースを作る際に、徳島大学の青江先生の研究室を見学させてもらったことがある。
青江先生は、ATOKの生みの親である。ATOKの意味を知らない人がほとんどだと思うが、AOE TOKUSHIMAの略なのだ。ジャストシステムは、青江先生がいたから、一太郎を開発できた。
青江先生は、大学に自然言語処理ベンチャー企業を作っており、当時はMAC用のことえりや、NTTデータの辞書を作っていた。
それでそのデータベース作成のために、地元の主婦やOLを雇っていたのだが、その様子はどちらかと言うと、ブロイラーに似ていたのが印象的だった。まさに人海戦術。
データを編む作業は、文学とはちょっと違う。

三瀬夏乃介「風土の記」展評

KYOTOGRAPHIEの宣伝をしておきながら何なのですが、今日は10年ぶりくらいに明日香村に行って、三瀬夏之介くんの展覧会を見てきた。
三瀬くんは、僕の高校の一学年下の美術部の後輩にあたり、美術研究所も同じだったという縁であるが、昨年夏まで20年以上会っておらず、彼の展覧会を見たのも初めてだと思う。
たしか、僕が高校二年生頃、美術部の顧問の先生の実家が明日香村にあって、夏合宿を行った覚えがあるが、三瀬くんは参加していたのだろうか?昔すぎてうる覚えである。

その明日香村にある、万葉文化館という万葉集時代を中心とした文化博物館で、三瀬くんは、大がかりな個展を今日まで開催していたのである。
もっと早く見に行こうと思っていたのだが、結局最終日になってしまった。
明日香村に久しぶりにいったが、同じ奈良でも北部にある僕の家からでは結構な遠さだった。

それはともあれ、三瀬くんの作品の感想を書こう。
三瀬くんの芸風、いや作風は正直、高校時代からまったく変わってない。
いろんなところに移住したり、素材がポスターカラーから顔料になったりということはあるのだろうが、基本的な骨格は変わってないと言えるだろう。

ただし、ポスターカラーでケント紙に描かれた作品から、これほどの世界観を秘めているとは想像してなかった、というところだろうか。

おそらく、日本画、洋画、漫画などのどれかに当てはめようとしても、するすると抜けるような作品で、批評家泣かせな作品だろうし、同時にそれだけの可能性がある作品でもあると思う。

山形への移住や震災を経て変わったことはあったと思うが、一貫して出てくる、爆発する雲のようなモチーフ、緑色の影、巨大な手、そして小さな線や斑点は、三瀬くんの記憶にずっとあるものだろう

典型的な日本画とは言えないし、かといって洋画的でもない。漫画的であると言えば漫画的であるがそこに収まっているわけでもない
ただし、一見、陰影を使った立体的な表現のように見えて、西洋的なボリュームを表現しているわけではなく、その影は現実の影ではない気がする。

三瀬くんの影は、言わば日本絵画でいう「影向」であり、神仏が表す影に他ならない。事実、「ぼくの神様」や「J」などで表現されている影は、八咫烏に導かれた神武東征の影であり、大仏の影でもある。あるいは、UFOの影でもあるだろう。

爆発する雲のイメージから、その影が見え隠れるするというようなものだろう。
彼の爆発する雲は、阿弥陀来迎図の雲や、洛中洛外図における金雲のような、何かが登場したり、舞台転換する際に必要不可欠な煙幕のようなものだ。
その意味では、日本的な表現の伝統を担っていると言えるかもしれない。彼は自分なりにその文法を見つけたと言ってもいいだろう。

彼はその雲(時に原爆の雲のようなものを連想しているようだが)を巧みに使って、時々の風土における経験を、総合的かつ断片的に表している。
マクロ的であり、ミクロ的であるという、曼荼羅めいた表現もまた彼の特徴なのだろうが、細部と眺望を切り離して表現したくはない、という強い意志すら感じる。
ディテイルと鳥瞰図が同居しているという点も、日本絵画的な手法とつながるものがある。

ただし、彼の10数メートルにも及ぶ、パノラマ状の絵には単線的な時間の観念がみられない。日本の巻物の場合は、横スクロールしながら舞台転換する。しかし、彼の場合は、左と右のイメージに厳密な時間差があるわけではなく、彼の記憶における印象の差のようなものだと思う。

爆発する雲が、こちらに向かっているように見えるのも、イメージが右左ではなく、前後にあるかだろう。
そこが、かなり異質で奇妙な感じを受ける原因の一つでもある。

このように解読めいたことをしても、するすると抜けていくのは承知なのだが、彼がどこまで広い空間に耐えられるのか、見てみたいという気持ちになった。
一度、体育館レベルのサイズで展覧会をしてもらいたい。
三瀬くんならできるだろうし、そうしたときに彼のイメージはどこまで膨らむのか?
そう思わせてくれる展覧会だった。

 

三瀬夏之介作品集 日本の絵

三瀬夏之介作品集 日本の絵

 

 

冬の夏

冬の夏

 

 

 

「上方遊歩46景~言葉・本・名物による展覧会~」

ちょっと立て込んでいるので、簡単にしか書けないが、昨日の海洋堂の宮脇さんのレクチャーがどこで行われたか書いておこう。
非常に良く出来た展覧会であるが、そこまで話題になっていので、宣伝もかねて。

京阪電車なにわ橋駅、というわりと新しい駅がある。
大阪の方はご存知の方もいるだろうが、まだ行ったことのない人も多いだろう。

2008年、中之島線という、中之島の地下を走る線路が完成した。
天満橋駅から中之島駅までの5駅という短い区間の線路であるが、
中之島を縦断する電車がなかったので、中之島の東西をいくのには非常に便利な線路である。

なにわ橋駅はその一つで、外に出るとちょうど大阪市中央公会堂が見えるという、中之島公園に行くには最適な場所にある。

そのホームから地上へいく中間の動線のところに、京阪電車なにわ橋駅アートエリアビーワンという、主にアートを中心とした様々な催しが行われるスペースがあって、大阪大学NPO法人ダンスボックス、京阪電気鉄道の3団体で企画・運営が行われている。

2008年の開業前から実験的な様々な展覧会、ワークショップ、イベント、演劇などが行われているのだが、春と秋に鉄道をモチーフにした「鉄道芸術祭」が行われており、今回は、名編集者である、松岡正剛氏が企画をして、大阪から京都までの京阪沿線の46駅をモーチーフに、まさに、沿線を編集するという意欲的な試みが行われているのだ。

松岡正剛氏は、70年代から工作舎を立ち上げ、「遊」という伝説的な雑誌を発行していたことで知られているが、その後は編集工学の名のもとに、大著「情報の歴史」などを編纂したり、展覧会を企画したり、また自分のメソッドを伝える編集の学校を主宰したり八面六臂の活動を続けている。

最近なら、千日間、千冊の本を独自の視点で書評していく「千夜千冊」や、東京の丸善で、独自の文脈で本棚を編集した「松丸本舗」などのことを覚えている人も多いと思う。

その松岡正剛氏が、大阪と京都の京街道の豊富な歴史を秘めた、京阪沿線を遊歩し、それを編集して、様々な資料、豊富な人脈によるトークイベントなどを行っているのが「上方遊歩46景~言葉・本・名物による展覧会~」というわけなのだ。

そして、昨日は、京阪沿線に会社を構える、精巧なフィギュアで世界的にも著名になった海洋堂の社長、宮脇氏のトークイベントが行われていたというわけだ。
http://artarea-b1.jp/blog/

展示は、駅の構内のように、円柱状にした柱を沿線分立て、そこに文章と写真、本、関連名物などを置いて構成されており、さらに、束芋などのアーティストの展示なども行なわれ、重層的な見方、読み方、歩き方ができるように工夫している。

特に、文学者や身体研究者などの参加は興味深く、関西出身の作家、柴崎友香の新しいメディアを使った書き下ろしのエッセイ「水と人とが集まるところ」や、束芋近松門左衛門の『曾根崎心中』の登場人物である遊女お初に対して、心中を諌める手書きの文書「心中慰留」などは、かなり秀逸である。

これは、僕が以前から幾度か書いている、芸術祭には文学者をもっと入れるべきだ、という主張にも通じているところがあり、これらの物語は今のところ、会場内でしか読めないが、今後、ネットや電子書籍で発表されるなりして、継続的に人々を誘発するコンテンツとして幅広く公開していただきたいところである。

個人的には、以前から関心のあった、能楽師で、ロルファーでもあり、身体的観点から様々な古典を読解している安田登氏のワークショップにも関心があったが、行きそびれてしまった。

「上方遊歩46景~言葉・本・名物による展覧会~」は、現在の地方芸術祭で不足している部分について、かなり急所を突くような形で提示されているので、是非、時間のある方は足を運んで頂きたい。
12月25日までだが、関連イベントはまだまだ残っているし、イベントのない日でもいろいろ発見のある展覧会である。

新しい抽象表現

写真が超親密な風景と、超疎遠な風景に分離していく。それは表裏一体であると書いたが、shadowtimesで紹介している作品の傾向を見ていると、新しい抽象写真という流れが生まれている気がする。
結局、デジタル写真によって、写真表現の根幹だった、被写体、レンズ、カメラ、フィルム、プリントの組み合わせの大部分が、カメラの電子的な処理によって行われるようになりブラックボックスになっている。
その際、表現をする余地が、写実の方に少なくなり、抽象性の方に表現の可能性を見出しているのかもしれない。
実際、「新しい技」を写真家が作り出してもすぐ真似される、シュミレーションするアプリが現れるという事態が起きている。どうやっているかわからない抽象性というのがポイントなのかもしない。(三)

路上写真の喪失と監視写真の隆盛

もう一方の問題は、路上写真の喪失と、監視写真の隆盛だ。

路上写真は、日本の写真界の原点でもある。ただし、今、木村伊兵衛のような撮影の仕方はできない。おじさんがそんなことしようものなら、完全に盗撮で捕まるだろうし、肖像権の侵害で訴えられるだろう。
つまり、すでに風景にパブリックスペースはないのだ。
我々が見ている風景は常に誰かのもので、写真を撮って勝手に収奪することは許されない時代に来ているのだ。

同時に、我々の日常は常に監視カメラ、見えない主体、見えないカメラによって撮り続けられている。普段は気付かないが、何かの瞬間にその光景が頭を持ち上げる。潜像する日常なのだ。

写真が超親密な風景と、超疎遠な風景に分離していくのは、実は表裏一体のことだと言えるだろう。(三) 

スマートフォンの一極集中

家電の戦場はすでに完全にスマートフォンだ。ブラックベリーは大幅解雇され勢力を失ってしまった。ノキアマイクロソフトに買収されたが、これかウィンドウズフォンがどこまでシェアを伸ばすかは未知数だ。
サムスンはシェアは高いが、すでに、新興諸国では価格帯が高く、中国、台湾勢に追い上げられている。
アップルの伸び率は鈍化し、廉価版を出したものの、それでも高額だから新興国での伸びは少ないだろう。
どこも必死なのは、スマートフォンの売上げが5割以上を占め、そこで負けたら会社ごと吹き飛ぶからだ。
こんなゼロサムゲームの市場がかつてあっただろうか?
その中に、カメラも当然入っているということなのだ。(三)